愛艇2706は6月30日にコンテナに積み込まれ、一足先にサザンプトンに到着している。空港で同じ便で出発する日本人選手5人と合流し、8月16日ロンドン・ヒースローに向けて飛び立った。世界選手権に出かけるっていうのに、こんな事を言うのも妙だけど、最近わたしのヨットは どうやら「信じて進む道」みたいなものを見失ってしまったようで、すっかり迷宮入りしてしまった。2年前、浜名湖のワールドを終えてから、次回も必ずイギリスのワールドに参加すると心に決め、今のペアを組んでハナイキも荒く来たはずなのに、その意気込みも消化不良を起こし、はやる気持ちも不完全燃焼のまま、ついに時が来てイギリスへ出発する日が来た。
バンコク経由の長い長いフライトを終え、真夏の日本から涼しいイギリスへ到着。ウロウロしていたら、シドニーからやって来たケンさんとばったり会う。浜名湖で知り合ったテーザーフレンドともこれから2年ぶりの再会だ。
ジョージさん(本名:本吉譲治)の名前の書かれたカードを持ったタクシードライバーが到着ゲートに待っているはずなのに、なかなか見つからない。いい加減探し回ってやっと見つけた人の良さそうな大男が持っていたカードには大きく「YOSHIMOTO」と書かれていた!
■運転手のデイブとジョージさん。デイブ、ヨシモトちゃうで。タクシーで東へ向かう高速を飛ばして2時間。ウィツタブルに到着。【こじんまりと静かな田舎町】 という趣きのなかなか雰囲気の良い街。レンガ造りのカフェやレストランが立ち並ぶ通りには、テーザーワールドを歓迎する横断幕やポスターが其処此処に見られ、「あぁいよいよやって来たな」という、何とも言えない心地良い緊張感が時差ボケの脳ミソから全身に広がった。
早速計測を済ませたところ、驚くべきことに、太ってしまっていた艇体重量は、カラカラの高温のコンテナで長い航海を終えた結果、4キロも減って、購入時の64キロにしっかり戻っていた。日本に戻ったら、もう絶対増えないように改めてリーク箇所のチェックとコーキングをしっかりやり直さなくては。頑張って増やした体重も大した成果は見せず、クルーウェイトは合計110キロ。(いつものことだけど、また今大会最軽量チーム)ハルウェイト不足分と合わせて、バラストは合計16キロ。くー。でもこればかりは気にしても始まらないので、開き直って自分達の走りをするのみだ。
計測後、ほんの少しの時間だけど2708と一緒にセーリング。干満差が5メートル以上もある場所だけに、干潮時には水際がうーーーーーーんと遠い。満潮時とは100メートル以上は違いそう。貝殻や小石でゴツゴツしたビーチを延々引っ張って歩き、恐ろしく遠浅の海にやっとのことで浮かべ、帆走り出す。フラット・そこそこの風の中、2708てんぷら号と走り比べをするけれど、正直言ってなんかしっくりこない。セッティングを色々変えてみたり、セールシェイプを相手からも見てもらったりしながら、なんとか感触を掴んだものの、更に不安も募る。ワールドという晴れ舞台に、みんな準備万端で臨んでいるはずなのに、今頃こんな事をやっているのはわたしたちだけかもしれない。コンテナ積みしてしまってから、ろくな練習もできずに来てしまったのでどうしても焦りをぬぐい去れない。
普段は布団に入ったら5秒で気を失う単細胞のわたしが、長いフライトでげっそり疲れているはずなのに、時差ボケかあるいは興奮のせいか、その晩はなかなか眠れず夜中に3回もトイレに起きてしまう始末。「眠れなかったら横になっているだけでもいいや」と開き直り、少しでも速くフネを前に進めるために、そしてチームがずっといい精神状態・高いモチベーションを維持していくために、今からでもわたしにできる事は何か・・・などと「らしくない」事を悶々と考える。とにかく、クルーとしてやるべき事を確実にこなすのは勿論のこと、ヘルムのおがわっちを盛り上げて、自分自身も盛り上げて、前向きに図々しくやるのみだ。もう迷宮入りなんて思うのは止めにしよう。勝ちを意識しなければならない厳しいレベルにいる人たちと違って、わたしたちは日本の無名のセーラー。失うものなんてなーんにも無い。そうだ、そうに決まってる。妙に納得し安心したら、ぐーすか眠っていた。
いよいよ今日はプラクティスレース。ハーバー内は昨日までのノンビリした雰囲気とは一転し、ザワザワと活気に満ち溢れている。参加艇は合計100艇の大台に乗った。幸い得意の軽風!大きく深呼吸して、いざ海へ。海面へ到着するとやっぱり緊張してきた。いつもどおりにやればいいんだと、平静を装いながらラインの傾き・風向・潮のチェック。潮はかなりきついけど、今の所、風向と逆の連れ潮。いつものように、センターケースの上に立ち上がり、海面のチェック。風は満遍なくある感じ。二人で話し合った結果、100艇のビッグフリートだし、その上軽風だし、位置取りにこだわらず、とにかくトップスピードで飛び出すことに重点に置く。程よい緊張感がいい感じに気分を盛り上げてくれて、フリーウォーターを得て会心のスタート。やった!でも無情にもゼネリコとなる。2回目のスタートは更に上手く行ったんだけど、またもやゼネリコ。100艇ともなれば、こうなることはある程度予想できていたので、この2回のゼネリコはウォームアップと割り切り、すぐに次のスタートに気持ちを切り替える。
3回目は当然ながら1分間ルールが適用された。でもまだZやブラックじゃない、ラウンジエンドだ。新ルールでの慌ただしいスタートも最近のキールボートレースなどで随分慣れてきたけれど、予想以上に潮がきつく、ラインに戻るのに苦労した。一旦フネを止めてしまうと途端に押し戻される感じだし、加速も難しいので相当注意が必要。
いよいよ3度目のスタート。思い切り良く加速して、ややショートではあったけれど下2番手からロケットスタート。ひゃっほー! スタート直後に風が振れ片上りに近くなったので、スタートの成功は本当に大きかった。いきなり上マークを3位で回航した時にはかな〜り舞い上がる。今まで一度もやったことのないトラペゾイド+ソーセージの組合せコースいうこともあり、間違えないように、フォアデッキに、回ったマークを書き込んでいく。潮を読み切れずに次のマークで少し順位を落とすけれど、上位陣に別段スピードで劣る事は無く、だんだん落ち着いて周りを見る余裕も出てきた。ご愛嬌で3番マークをウィスカーで軽く小突いてしまいペナルティを解消、でも順位は変わらず。
風が落ち、長いレースになったけれど、そのまま6位でフィニッシュ!夢にまで見たシングル。あまりの出来事にフィニッシュしたら、おがわっちの手をひっつかんで、言葉が出ず、ただただ口をパクパク(笑)。後ろを振り向いた瞬間、海面いっぱいに広がるまだフィニッシュしていない大連隊が目に飛び込んできた。うわーっ!ワールドの大舞台で後ろに94艇を従えてのフィニッシュというのは、想像していた以上にエキサイティングで、本当に全身に鳥肌が立ってしまった。シングルなんて、全日本でもなかなかできないレベルの私達なのに〜っ!
でも、これにはオチがあって、結局わたしたちは1分間ルールにひっかかってOCSだったということが判明(笑)。やはり1分前にラインに戻りきれていなかったらしい。やばいかな?とも思ったけれど、所詮プラクティスレースだし、思いきりやった方がいい、とそのままスタートした。2回のゼネリコが両方とも抜群のスタートだったので、なんだかノリノリでピンまで戻りたくなかったというのが本当の所。リザルトに載ったのはOCSという横文字だったけれど、我がチームにとっては大きな意味を持つレースで、遠いイギリスの海で得意の軽風レースを伸び伸びと走った事は大きな自信になったし、もやもやした不安や迷いも一気に吹き飛んでしまった。
いよいよ、本戦1日目。予報ではミニストームが来ると言われていて、既にかなりの強風となっている。出る前から不安が募るけれど、コミッティはレースを強行する模様。気を引き締めて出艇。海に出てみると想像以上に吹いていた。アベレージでも30ノット弱の風の中、練習はもちろんレースなんてしたことないし、もはやテーザーがまともに走れる風じゃない。あぁブルー。大いにビビるわたし。でもここまで来たらもう行くしかない。レースエリアに近付く頃には、風は更に上がってきていた。
今まで経験したことのないような風の中、ものすごいスピードのリーチングでプレーニングしながら本部艇に向かう。フネは勝手に爆走し、もはや我々のコントロール下にはない感じ。あっと言う間に横波に持って行かれ沈。半沈状態で必死にセンターにかじりつくけれど、やがて完沈してしまう。
コミッティがノーレースを決めた頃には事態は悪化し、あたりは沈艇だらけで、それらはデスマストしていたり、人が流されてしまったり、マストが倒れてハルに穴が開いていたり、危険な状態。わたしたちは完沈したマストがどうやら海底に突き刺さっているらしくびくともせず、波に揉まれて30分以上水の中で奮闘するけれど、近くで見守ってくれていたレスキューボートにもうあきらめろと言われ、差し伸べられた手を掴んでしまう。
流された人に次々とフローティングブイを発射し、手際よく救助していく様子をレスキューボートの上でぼんやり眺めながら、わたしは1レースもやらないままここにフネを捨てて帰るのかと思って、ただ呆然とするばかり。幸いコーストガードやレスキュー隊のおかげで、のちに全艇が回収され事無きを得たけれど、20艇以上がデスマストした大変な1日だった。
わたしたちはアッパーマストを折り、ジブタックの金具が曲がり、メインセールを破き、ウィスカーを流失し、ハリヤードもダメにして、おまけに浸水までしてしまった。ニューセイルも、すっかりシンナリしてしまい、意気消沈。本当に高くついたけど、怪我がなかったのだけは幸いだと思う。
そんなわけで、本戦初日から、冷たい北海でイギリス流・手荒い洗礼を受けてしまった。レスキューされるまで事の重大さに気付かずにいたわたしたちだけど、レースをやるやらないにかかわらず、「経験したことのない風」と感じた時点で引き返すという選択肢もあったことを後になって思い知らされる一日となった。
次の日は一転して軽風コンディション。強烈な潮の中、第2レースと第3レースが行われた。前日は大変な目に遭ってしまったけれど、ハーバー内に臨時出店していたパーツショップやリペアサービスで全て修理を終えることができた。新しいマストとウィスカーポールで気を取り直して行く。何だか色々ありすぎて、まだ1レースも成立していないなんて、何となく信じ難い。1レース目はなんとなんと、またもやスタートが抜群に上手く行った。実を言うとかなり上有利のラインだったんだけど、プラクティスレースの良いイメージを大切にするため、混み合った上側にこだわらず、とにかくフネを止めずに流して加速しようと決め、結局真ん中下寄りで出た。風が振れ回っていたのでコミッティーも見切りスタートのような形になったのか、スタートしてから上マークは片上りどころかリーチ気味くらいの位置になり、下スタート組は絶大なアドバンテージを得てしまった。
1上をシングルで回航! もはやトラペゾイドコースはきちんとした台形を成してはいなかったので、一番右側のマークから順番に回っていくという感じ。先頭集団に居ることに慣れていないわたしは、イマイチ自分のコースに自信が持てず、いつも不安なんだけど、前を走って初めて分かったことは、どうにでも、好きなコースを走れるってことだ。ミート艇のケアに気を使うこともなし、いつでも好きな時にタック・ジャイブできる。その後もシングルをキープしていたけど、最後に気まぐれな風を読み切れず、わたしたちを含む先頭集団にいた数艇が完全なカームに捕まり脱落、後続艇に根こそぎやられて順位を大きく落としてしまう。
すぐそこまで来ている吹き出しになかなか届かず、随分胃が痛くなる思いをしたけれど、最後にはそこそこの風が吹いてきた。軽量の我がチームがちょうどフルハイクでフラットにできる風域、腹筋はきついけど一番速い風域を快走する。周りはまだクルーがやっとオンデッキするくらい風の中、1艇だけクッ、クッと驚異的な角度で上りながら、下突破していくのは本当に痛快だった。
フィニッシュしたら、オージーらしきフネが近寄ってきて、目をパチクリさせながらおがわっちに向かって「What a fast boy!!」と両手を上げ首をすくめてきた。ラルにはまり順位を落としたのは残念だったけど、誰かに走りをアピールできたのはとてもうれしい事だった。二人とも単純なのでかなり気を良くした(笑)。
実はこのレース、マーク変更の方法に不手際があり、のちに救済要求が出されていた。長い審問の結果、変更直前のマークの回航順位でレースが成立してしまった。色々物議を醸した出来事ではあったけど、私達にとってはスーパーラッキーな9位!! ワールドで一度くらいシングル取れたらいいのにね、なんて夢みたいな事言っていたけれど、それは今日、夢じゃなくなった。いい思い出であるのは勿論、今後の大きな励みになると思う。軽風だったら十分行けるゾ、と大胆にも図々しい勘違いをしてしまうような楽しいレースであった。(でもこのレースの結審に理不尽な思いをした人も多いと思うので、あんまり図に乗るのは止めておこう)
2レース目のスタートの頃になると、また風は頼りなくなってしまった。スタートは真ん中の2列目くらいで、かなり厳しい。そろそろ下げ潮の時間となり、潮の影響を最小限にするために、多くの艇が岸に突っ込んで行った。わたしたちは、とにかくフレッシュエアを掴んでスピードビルドをしたかったので、コース中央をシフトを拾いながら進む。
今になって思えば、やっぱりわたしはまだまだ何にも分かっていなかったんだなぁとつくづく思う。一体どれくらい潮の影響を受けているのか、この風に対する今のスピードはいいのか、悪いのか。流れの正確な方向を把握することや、それに対処する常識的なセオリーでさえ、自分で確信を持って判断することがどうしてもできなかった。ただでさえヘルムが神経をすり減らす微風の走りの中、わたしにもう少し的確な判断が出来て、自分のタクティクスに自信が持てたなら、訳も分からずズルズル後退するようなストレスいっぱいのレースにはならなかったのに・・・。
結局このレース、一時はいい位置に居たにもかかわらず、潮を読み切れず、1上をもろアゲインストの潮の中、スタボーロングのアプローチで大失敗し、その後もマークに吸い寄せられる強烈な潮に四苦八苦し、いい所ナシの55位。・・・わたしにはどうしても見えない潮。完全にそれを把握していている上位陣には、きっと海面に色と矢印が見えるくらいにはっきりわかるんだろうな。ううっ。今日は大波小波賞といった所。
イギリス南東部、北海に面しているここケント・コーストは、北極からの寒流が流れていて、真夏の8月でも日本の初夏か秋を思わせるようなマイルドな気候だ。逆に、日が暮れてからはかなり肌寒いし、天気が崩れると昼間でも非常に寒く、ドライスーツを着るほどらしい。幸い私のドライスーツはまだスーツケースの底にしまわれたまま。できれば、最後まで使わずに済ませたいものだ。今日は青空に丁度いい風!初日の恐ろしい強風で延期されていた第1レースを含め、計3レースが予定されている。長い一日になりそうなので、水とサンドイッチ、バナナ、日本から持って来たカロリーメイトなどを積んでレース海面へ。
1レース目の予告信号が揚がる頃には、丁度いいと思っていた風は徐々に上がり、スタート時にはブンブン吹いて来た。それを見越しての事か今日のコースはいつもよりずっと長い。昨日は気まぐれな風が続き、トラペゾイドは全く台形を成していなかった。そして今日のコースはついにトライアングルに変更された。
この風って、順風の後半くらいなのかもしれないけれど、軽量チームのわたしたちにとっては、ひどく辛い日になろうとしていた。鬼ハイク状態になると、周りを見る余裕なんて全く無く、苦しくてコンパスの数字も頭に入らない。やっとのことで完走。
2レース目、風は一向に収まる気配は無く、むしろ安定した感じ。大波と強烈なガストに翻弄されながら、とにかくミスを減らすため、タックは少なめに、ミート艇のケアだけには細心の注意を払い、あとは頼りない自前の腹筋でただひたすらフネを起こすだけ。リーチングでは恐ろしい滑空状態を何とかコントロールし、また長くて辛〜い上りへ。
いつからだろうか、気付けばジブのラフテンションがダラダラに緩み、横じわいっぱいの恐ろしいほど深〜いセールになっている。ジブがカムから外れシバーした時に、タックのクラムクリートが抜けてしまったらしい。(ついでにウィスカーのリングもどっかに吹っ飛んで行ってしまった)そうでなくてもデパワーしきれず苦しんでるのに、そりゃないよ〜と泣きたい気持ち。バングもシュラウドもキンキンに引いて、ジブリーダーも5番まで出しているのに、まだメインに裏風が入ってしまう。そろそろ握力も体力も限界が見えてきた。
3レース目の前にフォアデッキを腹ばいになって進み、なんとかジブのラフテンションを入れ直す。辛いけど、なんかこうナチュラルハイ状態っていうのか、気力だけで持っている二人。これが終われば明日はレイデイ(お休み)だ。「レイデイ何する?どこに行く?」「わたしはワイト島に行きたい」「オレはロンドンかな」などとしかめっ面しながらクローズの最中に話している自分たちには呆れてしまう。あぁまだ元気残ってる!
同じような風の中3レースもやれば、周りを走るフネの顔ぶれもだいたい決まってくる。下マークでのイン取り合戦とかはかなり熱いんだけど、ここでもう1つ分かった事、艇もまばらな後ろの方を走る時は、好きなようにコースを引ける。スタートで飛び出して上位を走っている時と全く同じ事が言えるのだ(笑)。
トップ艇が2時間で終えるくらいのレースを3レース、まさに体力の限界って感じのレースだった。完走がやっとで、沈だけは免れたけど、最悪の69,75,70位、とすっかり実力発揮!? これで先が見えてきたなあ・・・。
■辛かった強風レースも終わってみれば良い思い出着艇したら、腰がくだけてへたり込んでしまった。手は小刻みに震えてるし、膝だってもーガクガクだ。ホントに辛かったー。そしたら先にフィニッシュしてフネを上げた人達が寄ってきて、一緒にフネを押してくれた。サインオフを済ませてからは、みんなでシオシオのほっぺとクシャクシャの髪でシャンパン片手にドーナツをほお張る。体重が重い軽いにかかわらず、誰もが辛かったレースを終えて、掌なんてもうズル剥けだけど、みんな子供みたいな無邪気な顔で満ち足りた様子。あぁやっぱ、楽しかったな、一日中レースしたもんな、とわたしも自然に笑顔になった。
今日、海の上にいた時間は8時間を越えていた。
前日の強風(順風?)レースで、太もも腹筋はパンパン、あちこち痛い所だらけだけど、待ちに待ったレイデイがやってきた。自称アメリカズカップフリーク?(単なるミーハーとも言う)のわたしとしては、絶対に見逃せないアメリカズカップ150周年記念のイベントレース【アメリカズカップ・ジュビリー】が、サザンプトンの沖に浮かぶ島・ワイト島で行われていた。
元ニッポンチャレンジのテクニカルチームで活躍し、阿修羅と韋駄天とともに次回アメリカズカップに挑戦するイギリスのGBRチャレンジへと移籍した高橋太郎さんに会いに、リミントンからフェリーに乗ってセーラーの島・ワイト島へ。カウズウィークで有名なハーバーからギャラリーの目の前で号砲とともに美しいJボートや最新鋭のACボートがスタートするシーンを見る予定だったけど、残念ながらフェリーの時間がうまく合わず、スタート時間までに到着できなかった。その代わりに、ワイト島の景勝地・ニードルズへ案内してもらった。切り立つ白い崖の向こうに点々と続く細長い岩、そのずーっと向こうはランズエンド・西の果てだ。
■ワイト島の最西端・ニードルズカウズの街はオークランドのカップビレッジさながらの賑わいだった。ミーハーなわたしはオークランドからジュビリーのためにやって来た「モノホン」のアメリカズカップと写真を撮って、美しいJボートに息を飲み、セーラー達でごった返すヨットの街・カウズを満喫した。
その後、太郎さんのお宅で日本人ジャーナリストの方々と夕飯をご一緒し、ちょっと恋しくなっていた美味しい日本食をご馳走になり、すっかりリフレッシュ。楽しいレイデイを過ごし、さあ後は残すところあと3レース。
気付けばワールドも残すところ2日となった。総合成績は現在の所50番台。予定通り8レース消化されれば、2レースはディスカード(捨てレース)にできるんだけど、うーん、強風の3レースで、既に捨てきれないくらいの大タタキをしてしまっているからな。とにかく浮き沈みが激しすぎて、私ら一体何者?って感じである。シングルはまぐれだったとしても、もう少し安定した成績で残りのレースをまとめていきたい所。そしてA4サイズ2枚に渡って貼り出されているリザルトの2枚目の前の方にいるわたしたち。何とか1枚目に出世したいものだ!お約束の軽風が吹いた。第6レースは悪くないスタートだった。フェイスを分ける度に抜きつ抜かれつやっていた地元チームと、最後の上りではついにタッキングマッチ。ワンタック少なかった相手が僅差で先に入り、ホーンが2回続けて鳴った。「Nice beating!」と声をかけると、とびきりの笑顔でガッツポーズを返してきた。こんな言葉が自然に出てきたのには自分でもちょっと驚き。大きなミスもなく、丁寧に走りまずまずの24位。残りのレースもこのくらいにまとめていけば、もう少し順位をアップできそう。
第7レースは、風がほんのちょっと上がってきた。上がってきたといっても、丁度いい順風なんだけど、チョッピーな波の処理に問題ありで、ヒールばっかりするけれどパワーをスピードに変えられない感じ。どうしたらいいのかわからなくなってしまい、苦手意識が露呈してレースに集中できなかった。レベル差がそれほどない中盤のフリートでは、少しのロスでも落ちるのはあっという間だ。途端に転落し、51位・・・。
得意風域を快走している時のノリノリの図々しいプラス指向にかけては、絶対に、世界トップレベルに君臨するほどの私たちだけど(笑)、強風や、波のある海面、超微風などになると、苦手意識ばかりが先行しすぎてしまうきらいがある。それは「この風ではこう」という自分たちの走らせ方をまだ見つけ出していないからだ。気持ち良い軽風でしかまともに走れないというのでは、やっぱりシリーズレースは戦えない。色々な風域に対応できる走らせ方を完全に自分たちのものにするまで、もっともっと乗り込まなくてはいけないナ。しっくり来ないレースの方が、学ぶべき点も多い。
いよいよ最終日となった。泣いても笑っても、今日が最後。とにかく、思いきりやって気分良くチャンピオンシップを終えたいものだ。朝のうちは殆ど風が無く、出艇前に回答旗があがってしまった。今日はアワードセレモニーがあるので後ろの予定がつまっている。あとほんの少し順位を上げるために、ちょっとでも風があればやっぱりレースをやりたいけれど、今はホントに無風。
■ 期間中泊まっていたかわいいハット。ハーバーの目の前ウィツタブルは快晴!吸い込まれそうな青空だ。最終日ということもあり、みんなカメラを持ってあちこちで記念撮影が始まった。今までレース前は何かとソワソワしていて、写真を撮るような余裕があまりなかったし、夕方は片付け・シャワー・パーティーと慌ただしくて、写真を撮ったのは何だか食べたり飲んだりしている時ばかりのような気がする。ウィツタブルの海だって、こんなにのんびりと眺めることはなかなかなかった。
お昼頃になって、首筋に涼しい風を感じるようになり、その後回答旗が降ろされた。
スタートはまだそれほど潮が強い時間帯ではないが、風は弱めで安定していない。これまでの所、私たちのスタートは真ん中より下めが多い。浜名湖の時に比べたら、スタートはそれほどカツカツに厳しくはなく、有利なエンドを必ず狙ってくる上位組を除けばあとはさほど激しい位置取りや鬩ぎ合いはない感じ。下スタートが多いのは、ラインをきれいに流して走り代を多めにとっているからで、今までそれが上手く行っていたので、今回もそんな感じで行こうと決める。
おがわっち流石!今回もスタートはジャストで飛び出す。スタート直後に上側は風が落ちたようで、下艇団はパフラインの中で丁寧にシフトを拾ってそのままトップ集団となる。うひょー、スゴイ前を走ってる。1上あわやトップ回航か!?と思ったけれど、そう甘くはなく(笑)、団子のスターボ艇のお尻をポートでなめて4番回航!サイドでのコースも良く1艇抜いて3番、下で同じ艇に抜き返されて4番、次の上も4番。舞い上がってはいるけれど、このまま艇団から離れずに丁寧に走れば絶対この位置をキープできるはず、と自分を励ます。次の周に入ると、後ろから有名どころの強豪チームがやはり追い上げてきた。総合で上位を占めている彼等は、2位から5位まで非常に僅差で熾烈な争いを続けているのだ。その中には日本のエース、ジョージさんもいる。
上りでトップ艇団が左右にフェイスを分ける。さぁどうする?そろそろ潮も動き出す時間。岸が良いかもしれないけれど、この微風の中では風拾いの方が重要だと判断し、左海面を選ぶ。数艇にやられて少しだけ順位を落すけれど、それがコースのせいなのか、それとも圧倒的にレベルの違う強豪チームとの走りの差なのかわからない。たぶん両方だ。
風はどんどん落ちてくる。フィニッシュはまだーっ?? 今回のワールドでは、トラペゾイドまたはトライアングルに上下を組み合わせたコースを風に合わせて何周もする感じで、だいたいトップ艇が2時間でフィニッシュするくらいの頃合を見て、フィニッシュラインが設定されるというちょっと変わった形式。おおむね軽風が多かったので、そろそろ終わりだろうとある程度予測がついたけれど、フィニッシュかと思ったらもう一周やった、なんてことも何度もあり、長いレースでずっと集中力を持続させるのは結構大変。かろうじてシングルを維持して、たぶん最後であろう上りに入る。前のレグで抜かれたジョージさんが、真ん中コースを取る。ずっとすぐ前を走っていたウドさんが、一本右に伸ばし、大きく前へ出る。わたしは気が急いて、とにかく、このまま早くフィニッシュをしたい気持ちが先走って、ずっと左で丁寧にシフトを見ながら風拾いをしてきたのに、すっかり惑わされて何故か途中から右に突っ込んでしまった。でも、やっぱり神様は意地悪で、私たちが行き着く頃には右の風はどこかへ消えてしまい、ラル地帯にまんまとはまり込んでしまった・・・。あ゛ーーーっ、こういう所が甘いのだ。
私たちは大いに混乱し、超微風の中さっきまで絶好調だった走りにまで集中できなくなってしまう。心の迷いは大ブレーキとなりスピードもロスト。潮も動き出す時間になり、何度返してもレイラインに乗れないで居るところ、左から一筋のブローに乗って後続艇が次々やって来た。フィニッシュ直前の上りレグ後半で、左から一気に30艇近くにやられて33位・・・。シングルを走っていることに舞い上がってしまい、自分のコースを信じて引けなかったことが敗因だ。守りに入って、先行艇のコースに必要以上に惑わされた揚げ句、結局中途半端な最悪のタクティクスにってしまった。ずっと抜きつ抜かれつ競っていた艇はきっちり2位に入っていたので、余計に悔しい。ホントに悔しくて悔しくてたまらない。でもこういう所が経験の差なんだと痛感した。
前回の浜名湖ワールドの時も最終レースはいわくつきだったけど、今回の事は帰りの飛行機でもずっと悔しくてたまらないくらい残念なレースだった。本当に今でも思い出すと悔しいけど、これも次へ繋げるための、そしてもっともっと前を走れるようになるための、スパイスみたいなものなのかな。今回、軽風でのボートスピードはトップセーラーに引けを取らないことがわかっただけでも大変な自信になった。でも「軽風」の「ボートスピード」だけじゃやっぱり全然戦えない。課題もはっきり見えてきた。せっかくいいスタートで飛び出して、スピードを持っていたとしても、最後まで集中力を持ち続けて、冷静でセンスあるストラテジーを駆使して順位をキープするのは本当に難しい。ツメが甘いというか・・・。その辺、安定した成績で上位を走る人たちは本当に最後までキッチリやって、決して外さない。私たちは、ほんの少しの読みのはずれで、大きく順位を落とすことが何度も何度もあった。潮の事も、自分が思っている以上に影響があったし、やっぱりまだまだわからない事が多すぎる。最終レースのこの結末は、そんな私に一体何が足りないかを考えるための、神様からのヒントに違い無い。
色々あったけど、またまた貴重な経験をした。総合成績は半分より前に入るという目標にかろうじて届き100艇中44位。こんな恥ずかしい順位、載せていいのかな?まぁいいか、別に隠しても速くなるわけじゃないし。大会が始まってから暫くした頃、ノーティスボードに全てのチームをウィットに富んだセンテンスで面白おかしく紹介したものが貼り出された。私たちは、【Young Hot Shots from Tokyo!】と紹介された。【東京からやってきた「やり手」の若者】 ハハハ。
■ 浮き沈み激しすぎだけど、いいレースもあったゾ。
ヘルムのぎゃわには感謝感謝マストも折ったし、強風でケチョンケチョンになって後ろの方を走ったり、シングルからの脱落・・・、色々あったけれど、プラクティスレースのロケットスタートを初めとし(リコールだったけどネ)、シングル回航も何度もしたし、ラッキーなシングルフィニッシュもあったし、それなりにいい場面もあり、わたしたちの心の中には確かな手ごたえがあった。チームはずっといい雰囲気で、大喜びしたり大失敗したりしながらイギリスの海を伸び伸び走り回ることができたし、いつも二人の4つの目で確かめ、考え、全てを自分たちのセーリングキャリアのために費やす事ができた。
今のわたし達はまだ色々な事を模索している最中。それを自分達で見つけ出すのはすごく長い道のりで、遠回りかもしれないし、その歩みの方向が正しいのかすら未だわからないけれど、今必要なのは、わからないながらも色々考えて悩んで、でもとにかく自分達の力でやってみることだ。そうしてから初めて、経験だけに裏付けされた確かな知識を得られるのだと思う。
だから今は浮き沈み激しくても結構!都合良く解釈すれば、浮き沈みが激しいというのは成長過程にあるわけだから、そういう意味で、私たちは他のチームにはない素晴らしい経験ができたと思う。成績表だけ見れば、結果はそんなことをみじんも表してはいないけど、これから先、壁にぶつかったり、またまた迷いが生じたり、色々あると思うけど、今回手に入れた、ほんのすこーしの自信は、この先行き詰まった時に必ず自分自身に手を貸してくれると思う。
優勝したキャロルからメールをもらった。これからも頑張っていけそうな、元気がモリモリ沸いてくるようなメール。セーリングというのは本当に底知れぬ奥の深さ、多様なフィールドをもっていて、まだまだわたしの知らない世界ばかりだけど、海外の一流選手を見ると、艇種にとらわれず様々なフィールドで実績を上げている人が沢山いる。オリンピックのメダリストが南氷洋でのサバイバルレースでタクティクスに没頭したり、アメリカズカッパーが実はシングルハンドの世界チャンピオンだったりする。今回軽風から順風、強風まで他を寄せ付けない強さを見せて優勝したシアトルヨットクラブのキャロル&カールバッカンもしかり。彼等は大学時代からペアを組む傍ら、偉大なるクルー・カールは数々の種目のワールドタイトルを持ち、オリンピックの金メダルから、チーム・デニスコナーのキーマンとしてアメリカズカップ防衛まで、ありとあらゆる舞台で輝かしい活躍をして来た猛者。一方キャロルもカールとのツーマンディンギーの他に、私がドップリ浸かっているキールボートの世界で、女性として数々のタイトルを持つ超エリートセーラーだ。日本ではまだセーリングはマイナーなスポーツであり、決まった型にはまるほかなく、幅広い活動の場が身近な所に無いというのが現実だけど、これからもわたしは型に捕われず様々なステージで、多くの人と、多くの経験を積むために、巡ってきたチャンスを捕まえていきたいと思う。イギリスから帰って一週間、とりあえず社会復帰を試みてはいるけれど、日が経つに連れ、あの怒涛の10日間にもう一度戻りたいという衝撃にかられている。
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