晴れ時々沈

 


Vol.5 2003年自立の年

1年半ぶりにぶりぶりっとまた書き始めます。
案ずるより乗るが易し!とか言っててもちっとも進歩ナシですが
泣き笑いしながらまた修行の日々です〜

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3月29日(土)
国際派セーラーなのさ

 今日は、オーストラリアからやってきた一家を葉山に招き一緒にデーザーに乗る日。1ヶ月ほど前、フィル・ターナーさんからメールが届いたのが始まり。オーストラリアンテーザーカウンシルを通じて、日本のテーザー協会で広報を担当するわたしのところに、めぐりめぐって連絡が来たみたい。

 フィルさんはオーストラリアのテーザーセーラー。1月に仕事で日本に赴任してきて、是非日本のヨッティーたちとテーザーを続けていきたいということでご対面と相成った。息子のマーカス君は12歳、すでにヨット歴6年で、引越しの前日まで行なわれていたジュニアの大会で州のチャンピオンをさらってきた将来有望な少年。奥さんのデビーと娘さんのジェナも一緒にやって来て、葉山マリーナ内の 「ツアー」 を催行すべくグルグル案内したあと、逗子海岸へ。

 彼らのセーリングサイトは家の前に広がる白い砂浜のビーチだそうで(うっとり)、グレーの砂とひじき!が打ち上げられた逗子海岸とは大違いかもしれないけど、立派なマリーナよりもサンディービーチでのヨットが何よりも好き!とのことなのでダイジョブだと思う。

 艤装を済ませ、昼過ぎにいざ海へ。

か、風が・・・つ、強いような、気がする・・・。

出せない風ではないが・・・。
湾の右手に浅瀬があることと、魚網の位置を説明して、2艇で出艇。案の定、逗子湾ブローは非常にきつく、しかも振っれまくり。言いかえれば、最高の練習日和。ワールドとかだったら、おそらく毎日これくらいか、もっと強い風が吹くだろうし。沖でジョージさん&まほろってんと合流。 腹筋きついけど、スカーッと楽しい!!

 そうこうしているうちにフィル&マーカスが沈 !! ゲッ、彼らはかなり軽装だったけど、大丈夫だろうか・・・。日本人的には3月、ましてや風が強ければまだまだドライなんだけど、彼らはどうも皮膚感覚が違うのか、フィルさんなんて短パンに裸足!心配しながら近寄っていくと、ゲラゲラ笑い声が聞こえて、マーカスが元気に潜ってバングを切りに行った様子だったので一安心。なんのことはない、タフなオージーセーラーってことだ。

 暫く走り、彼らが湾内に向けて帰り始めたので、ちょっと早いけど撤収。最近吹かれ慣れているせいか、まだまだ余裕があったけどあんまりホンキで走らずに終わってしまい、ちょっと不完全燃焼。ま、暖かくなればもっともっと乗れるから今日はこんなもんか。朝から英語しかしゃべってなくて、モォー知恵熱が出そうだし。

 4月になるとマッチレースや対外レースなどで色々色々忙しくなるけど、やっぱり、絶対にテーザーセーリングは続けていこうと思う。

 これからも、五感を研ぎ澄ましながら、 耳たぶの産毛 で風を感じて、びてい骨 で波に乗るのぉー!ムヅカシイ事は考えず、自転車に乗るときみたいに感覚的に風や波と対話するんだ〜!

 


3月9日(日)
やっとこサ初乗り(逗子湾限定)

 先週と同じような気圧配置。強風波浪注意報が出ているのは知ってたけど、昨日のようなこともあるし(都内ばブン吹きだけど、葉山は穏やかでした〜)とりあえず眠い目をこすり逗子海岸へ。沖は白波が立ち、かな〜り吹いているようだけど北風なので海面はフラット、うねりもナシ。ブランケになってる逗子湾内は結構穏やかにも見える。天気もいいので、何となーくやる気モード!でいそいそと艤装し、久々に2706を浜へ下ろす。

 時折強烈なガストが入ってくる。しかも陸風特有の振れまくりの風。メインを揚げたら一層キツイ風がやってきて、セールがはらみ オカ沈 しそうになる。ふー、あぶない、あぶない。これじゃ無理だ。慌ててメインをおろし、しばし待機することにする。

 マリンボックス100 から佐野さんがやって来て、「今日出すのー?沖は吹いてるよ、レスキューいないからね」 と言われる。ギクッ、ハイ、たしかに。様子を見て、慎重に・・・。一緒に ESS から出てきたレーザーのトビーさんも、トップバテンを抜いてマストに巻き巻きし、リーフを試みていたようだけど、やっぱりレーザーではきつすぎると思ったのか、そのうち片付けてしまった。

 お昼を食べてるうちに気温はぐんぐん上がり、〜もしかしたら北風は弱まるかもしれない〜 ということで無理しない程度にちょっくら出してみることにする。

 ランチングするために風に背を向けて船台を引き始めたら、またまた一際強烈なガストがやってきて、今後は本当に 砂浜でオカ沈!!空飛んでいきそう〜!!そこらへんで散歩していた人がビックリ仰天して駆け寄ってきてくれた。気を取り直してリトライ!風の弱い時を見計らって出て行く。振れまくりなので、時々真追っ手の風が入ってくる。タダでさえ、今年のテーザー初乗りで手足も感覚ももたついてるのに、もーヒヤヒヤドキドキである。

 逗子湾の西側は非常に浅くてキケンなエリア。しかも暖かくなるこの時期、海底で藻がスクスク育ち水面が黒くなるほど。これって、ひじき?ワカメ??流れている藻じゃなくって、本当に海底から生えていて2〜3メートルは育っている感じだから、センターをちょびっと入れただけで、ゴゴゴゴゴゴゴ〜とひっかかり船が止まってしまう。でも強風でセールがはらんで ものすごい"G"が発生!うわっ、前転してまう〜。二人ともつんのめって焦りまくる。

 逗子湾からちょっと出て、大崎の抜けてくる風に入ると、案の定、北西くらいの強烈なガストが横から入ってきた。振れ幅100度くらい!!ちょっと初乗りにしてはあまりにも厳しすぎるコンディションなので、早々に退散することにする。心なしか、風が上がって来たような気がするかもしれないかもしれない。ちっと、キケンな香り…。心にゆとりがない時は、サッサと帰るに限る!気を抜いて沈とかしちゃうとホントにキケン〜!!!

 びびってセールもしぼれないから、長いことかかってやっとタック完了!なんとか湾内にバウを向ける。さっきの浅瀬を戻るのはコアイので、湾の東側を通って帰ることにする。メインだけだから全然のぼれなくて、しばし同じ所を行ったり来たり。試しにおそるおそるジブを出してみる。(テーザーのヘッドセールはファーリングしてあるのです)途端にものすごい暴れ馬みたいに走り出すから5秒であきらめてジブを巻く。やっぱメイン帆で帰ることにする。

 イカれたウインドが横っ走りで右へ左へかっ飛んでいる。やつら、プレーニングでいっちゃってるから、ぶつかったら・・・刺さる。ってゆーか、木っ端微塵は間違いない。そんなわけで、(どんなわけ?)どうにかして無事に着艇!ふ〜、ま、今日は安全第一、出したことに意義があるっていうことにしておこう。

 ビーサンになってジャバジャバ船を洗い、片付ける。春とは言ってもまだ3月。日が傾いてくると手足は凍えて痛くなってくるけど、この感覚、久しぶり〜。毎週当たり前のように乗っていた頃のことを思い出した。

 鼻歌を歌いながら船を洗って、お腹いっぱい潮風を吸い込み、元気もりもりフルチャージ。来週も乗るーっ!\(^o^)/


3月2日(日)
ミッドウィンターレガッタ・・・のはずだったけど・・・。

 前日は土砂降りの雨の中、秘密任務のため大阪を往復。なんだかくたびれてはいたけど、今日はいよいよ2003年のテーザー公式開幕戦。

 色々色々紆余曲折の結果、わたしは大ちゃん (注:昔の呼び方で言うところのブッチ―) と、2003年テーザーワールドにチャレンジすることに決定!チャレンジと言ってもちょっと違うんだなー、今までとは。もちろん、頑張っていい経験をしたいと思ってるけど、どちらかと言うとカナダの海でレースしてみたい!海外の仲間たちと再会したい!というスタンス。練習しなくちゃ。でもいっかギスギスガツガツしなくても、とりあえず楽しければ。そんな感じー。

 そんなわけで、今、一応モヤモヤからは脱出して目先の目標に向かっています。迷い無くやりたい!またテーザーにどっぷり浸かりたい!とず〜っと思っていた頃のことを考えれば、以前に比べて自分でも少々冷めてる感は否めないけど、それはまぁ大人になったということで (歳くったとも言う?ギクッ) とりあえずは満ち足りた気持ちでいます。

 前置き長〜くなったけど、稲毛でのレースのために先週のうちに大ちゃん号に船を積んで、本日は5時半起きで出発。で、でも・・・昨日からお天気お姉さんが 「明日は、春の嵐となるでしょう〜♪」 などと笑顔でのたまっていた。ゾッ〜。低気圧が日本海に抜けて、南のブン吹きになると思いきや、平行に東へ抜けた模様。それでも前線に吹き込む風で強烈な北風になりそう。心のどっかで、(今日は中止でしょ〜)と思いながら稲毛へ到着。案の定すごい風で、コンビニで買い物していたら看板やらゴミバケツの蓋やらが、ガランゴロン吹き飛ばされている。ギャーッ!こんなのやだー!台風みたい〜。

 ハーバーに着いても誰も船を下ろしていない。風速計ではアベレージで15m/sほど、ガストでは時折18m/sを超えている。こりゃダメだ。ってこで中止になる。残念やらホッとしたやらで、なんだか複雑だけど稲毛の人たちに別れを告げて逗子へ向かう。

 船を屋根に積んだ車は猛烈な横風で煽られまくり、オカ沈 しそうである。時折風に押されてタイヤがスリップして鳴いたり、鶴見つばさ橋なんてホントにもー、冷や汗かきながら走り抜け、なんとか逗子までたどり着く。着いてみたら、逗子は快晴!風も強いながらも、なんだかそれほどでもなーい。

 前日の海風の影響で風とは逆の変なうねりが残り、サーファーもたくさん!陽射しも強く、なんだか一気に春の気配。Tシャツになって船を下ろしたら、居ても立ってもいられず 葉山マリーナへGo!ひなたぼっこしながらお助け小屋からレース海面を眺めていると、レースが終わりみんなが戻って来た。ちぎれたスピンをひらひらさせてる船もあったけど、みんなアドレナリンを大放出させながら、快晴の強風レースを満喫してきたらしく、日焼けなんかもしちゃってなんだか満ち足りたご様子。
むーぅぅぅぅ、ちょっと うらやま・くやし〜。

 いよいよシーズン到来!しばらくは、大ちゃんと 【プロジェクトW(コードネーム:スモークサーモン)】 に向けてできるだけ毎週乗るつもりですっ!!



2003年 自立の年です (まじめダョ)

 立ち止まっている間に1年半!経ちました。その間、色々な環境が変わりテーザーに思い切り乗る機会がめっきり減ってしまいました。

 でも全然乗っていないわけじゃーありません。実は昨年の公式戦は皆勤賞なのです。稲毛のミッドウィンター、葉山のスプリングレガッタ、西日本選手権、猪苗代のミッドサマー、そして全日本。江ノ島の秋の練習会も含めると、協会主催の全てのイベントに参加したのは、なんと驚くなかれ!全国で私たった一人だったのです〜。なんかちょうだい〜!!(成績はさておき ^_^;)

 理由の一つに、こんな私が恐れ多くもテーザー協会の広報担当になり、みんなの楽しいテーザーセーリングのお手伝いをする立場になったからということがあります。ホームページの運営やニュースレターの発行などで忙しく飛び回り、晴れ時々沈の更新もそっちのけで奔走した目まぐるしい1年でした。でも考えてみれば、4月にぎゃわが去ってチームを解散した今でも、こうしてテーザーに近しい所に居られるのは協会の仕事があってこそ、と思うし、今まであれだけ楽しませてもらったのですから当然の事だと思えます。

「そんなことを引き受けちゃって、ホント大変だねえ・・・」 などとよく言われますが、奉仕の精神で物事に邁進するということは、とてもポジティブで健康的な生き方だと思う今日この頃なのです。

 実際のテーザーセーリングはと言えば、あれだけ鼻息荒くいつも全開でやってきたのに、今はおとなしいもんです。船を出せない日が続き、一時は焦ったりする時期もありしましたが、その後、あきらめ後ろ向きモードを経て、今はそれにも疲れて、開き直ってどーんと構えてます。色々な人と乗ってみて自分のダメさ加減 (セーリング技術の低さです) も思い知ったし、いっぱい乗ってやった気になっていたけれど、実は大した進歩もしておらず、ヨットってそう簡単に上手くなれるほどつまらないスポーツじゃないんだと、ミョ〜に冷静に受けとめています。

 これから?そのうち書きますが、目先の照準は決まりました。その先?うーん、わかりませんが、とりあえずわたしの目標を理解してくれて、同じベクトルで一緒に頑張れるパートナーをゆっくり探そうと思っています。ぎゃわが帰って来た時に、あまりにも私が進歩ナシじゃガッカリするだろうしねえ。

 そうそう、2002年のことも少々。
昨年のテーザーの公式レース開幕戦 【ミッドウィンターレガッタ】 で、我が2706ギャワ&マルコペアは第2位という信じられない好成績をあげました。もちろん、強豪チームが少なかったのもあったけれど、第一レースで "あの田中夫妻組" を押えて初めてのトップフィニッシュを果たしたんです。ひゃ〜!ぎゃわなんてもー、最後は舞い上がっちゃってヘロヘロ。いつも冷静沈着なクールなアタクシ(ウソつけ!)としては、

 「大丈夫、艇速あるから、このまま行けば絶対先に入れる!」

  とぎゃわをなだめすかし励ましながら、ハチャメチャな二人は歓喜のあまり船から転げ落ちそうになりながらフィニッシュラインを切ったのでした。
(実際ぎゃわは万歳してティラーを離しやがった!)

 あの時は本当に船も良く滑り、ぎゃわは神がかったような上り角度を見せ付け、いつも詰めの甘いわたしのコースも冴えまくり、笑いが止まらないウルトラリフトの中を走り続けたりして、本当に何もかもがうまく行ったのでした。そしてそして、いつもは浮き沈みが激しくてその後大崩れするのがお決まりパターンのわたしたちが、そのあとの3レースもきっちりまとめて、総合2位をゲット。テーザーマークの入ったHOYAのクリスタルグラスは、今もカップボードの中で誇らしげに輝いています。そして奇しくもこれがギャワ&マルコペアの最後のレースとなってしまいました。

 思えばいろんな事がありました。スランプもいっぱいいっぱいあったし、壁に突き当たったまま長いこと出口が見つからなかったり、時々うんと前を走ったり、でもまた大失敗して二人でシラ〜っとしたり。それでも楽しくテーザーにのめりこみました。各地の遠征と2回の全日本、そしてイギリスへの遠征を通じて自分のヨットの世界も広がったし、たくさんの経験をしました。

 そして、2002年のミッドウィンターが終わって暫くした頃、突然ぎゃわからヨット休止宣言が出ました。転職などをひかえ自分を取り巻く環境が急激に変わる事と、人生の中でヨットよりももっと大事なやらなくちゃならないことがたくさんある時期にさしかかったからです。もちろん、わたしは相棒として理解できるので応援したいと思っています。そしてわたしも背中を押されて、もっと自立して自分のヨットを始めることにします。相棒がカンバックしたらまたやればいいし、そうじゃなかったら新しいパートナーを探すだけです。どっちにしてもその間に猛練習をして一皮むける?つもりで、また修行の日々です。

 しばらく放っておいた晴れ時々沈、復活〜。
また泣き笑いしながら1から出直しですっ!!



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